○検索上位キーワード‘太宰治’と本日の日誌

どうも、おはようございます!

どーも朝からちょっと食べ過ぎてしまいました。

割とネットでは「太宰治」の事とかについて話題にされているみたいですね。

それでは、「太宰治」に関連する動画をご紹介しておきます。

太宰治 作 嘘 (朗読)

へ~。。。

ちなみに・・・

【質問内容】

前回、質問の予約をさせて頂いたsanzentaruhikariでございます。 この度は、私の質問にご回答を頂けるという事ですので、挨拶も程々に、さっそく本題に移らせて頂きます。 過去、私が人生において苦悩していた際、ご縁がありまして、遠藤周作先生の『あなたの中の秘密のあなた (PHP文庫)』という本を拝読いたしました。 その中で、遠藤先生は愛とは捨てない事だと語っておられました。 更に、歴史的に偉大な小説家である太宰治先生について、「わたしが彼のことを一点だけ認めることができないのは、彼が自殺したということにあります。」とも仰っておられました。 極めつけには、「人生は抱き締めれば抱き締めるほど、やがて燦然たる光を放つようになります。」とも記されていました。 それ以降、私は、遠藤先生の語っておられる燦然たる光とは何なのか、過去、燦然たる光を放った人生とはどのようなものなのか、自らの人生を抱き締めるとは如何なる意味なのか、人生とはできものだらけの物乞いであるとはどのような意味なのかを深く理解する為、仕事の合間に、遠藤先生の著作以外にも、空いた時間で毎日読書をいたしております。 具体的には、有名な古典的作家、特に、遠藤周作先生の様に全集が出ている作家の本を選んで、最安値水準の古本を購入し、拝読いたしております。 そしてある日の事、ふと、今まで読んで来た本に対する感想や見解が気になったので、yahoo知恵袋に限らず、様々な場所で本や著者の名前を検索して眺めておりましたら、深夜のネオン・ドクター様のご回答に至りました。 そのままいくつかご回答を拝見いたした結果、深夜のネオン・ドクター様は、これまで一貫して、どのような質問者に対しても、目の前のやるべきことをやるという事を繰り返し主張しておられる様に感じ、字面は違えども、それは遠藤先生が語っておられる己の人生を強く抱き締める事と同じ事なのではないかと考えたのです。 事実、私は深夜のネオン・ドクター様には何か燦然たる光の様なものを感じております。 そして、本では無く、ネット上で遠藤先生と同様の主張をなされている方を見たのは初めてですので、正直とても驚きました。 それほど多くを確認している訳ではありませんが、現代の人生相談などを見ていると、仕事や結婚、家族関係など、あらゆる辛い物事はむしろ投げ出す事を推奨している場合が多く、今現在、どれほど辛くても投げ出さずに抱え続ける事を述べている遠藤先生の様な方はほとんど居ないのでは無いかと思っていたからです。 だからこそ、遠藤先生の主張なさっている事とそれに対する今現在の私の見解について、深夜のネオン・ドクター様にご意見をお聞かせ願いたいのです。 遠藤先生が主張しておられる己の人生を抱き締める事とは、時に虚しさや苦しみを感じ、全てを投げ出したい時があっても、事の大小に関わらず、目の前に居る家族や仕事上での役割を果たし続ける事だと考えているのですが、深夜のネオン・ドクター様はどのようにお考えでしょうか。 拙い文章にここまでお付き合いいただき真にありがとうございました。 ご回答の程、よろしくお願い申し上げます。

【ベストアンサーに選ばれた回答】

私は哲学者のニーチェを敬愛しているんですが、ニーチェは著作の中で「運命への愛(amor fati:アモール・ファーティ)」ということを何度も述べている。 これが人生を輝かせる全てなんです。 人間には各々の運命がある。自分では無い何者かが与える、自分が受け止めて成し遂げなければならないものを「運命」と呼ぶんですね。 現代人の無様というのは、この「運命」を好き嫌いでちゃんと受け止めないことにあるんです。他人と比較することがその最たるものだけど、他人には他人の運命があるんですよ。 自分の運命を愛すること、即ち自らやろうとすることに、人生の耀きがあるわけ。 遠藤周作は私も大好きで全集も持っています。彼はキリスト教の愛を説いている人間ですね。 キリスト教とは何なのかと言えば、それは「愛」なんですよ。 孔子は「仁」と呼んだ。仏教では「慈悲」と言い、人間文化の根底にあるものを、それぞれの思想で語っているわけだけど、全部同じことなんです。 人間は動物ではない。つまり、生命の正しさである利己の摂理から外れた存在なんです。 動物は完全に利己主義なわけ。自分の命しか守ろうとはしない。縄張りを死守し、エサは自分が満足するまで他には与えない。 それが生命の正しさなんです。 だから人間だけが自分の損を引き受け、自分の命さえ擲つことが出来る。それは人間の「正しさ」があるためなんですね。その正しさに沿うことで、人間としての耀きが出る。 しかし、そういう人間の正しさに沿うためには、自分の運命を受け入れるばかりか、能動的に愛さなければならないわけ。 人間が運命を愛するということは、自分の役目と任じていく必要がある。人間の正しさは、役目を果たすことに相違ないわけ。 だから、何が起ころうと自分の役目を果たすことに価値観を抱けば、人生の輝きになる。 そして輝けばそこに人間の充実を感ずる。 だから人間は「自らやる」ということが最も重要な項目になるんですね。 ニーチェを崇拝したエミール・シオランはこう言っている。 「最後の審判のときに、人が吟味するものはただ涙だけだろう。(Au jugement dernier on ne pèsera que les larmes. )」 それが正しいのかどうか、美しいのかどうかは、人間には永遠にわからないんです。ただただ、我々は「やる」しかない。そこに人間の「涙」というものがあるんですね。

引用元

今日の知恵袋には、こんなご相談もありました。

なんていうか、どうやら少し前からレアチーズケーキとかについて気になるんですよね。

それでは本日も精一杯乗り越えましょう。。。

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